末梢動脈疾患への幹細胞治療について

末梢動脈疾患への幹細胞治療について

末梢動脈疾患と現在の治療の課題

末梢動脈疾患(Peripheral Artery Disease, PAD)とは、心臓から足に血液を送る動脈が動脈硬化(プラークの蓄積)によって狭くなったり詰まったりする病気です。

足の血管が十分に血液を送れなくなるため、歩行時にふくらはぎが痛む・痺れる(休むと治る)といった症状や、重症化すると安静にしていても足が激しく痛む、足先に治りにくい傷や潰瘍ができる、といった状態に陥ります。

進行したPADは重症下肢虚血(Critical Limb Ischemia, CLI)と呼ばれ、放置すれば壊疽や最悪の場合は足の切断にも至りかねない深刻な状態です。

動脈がプラークで狭くなると血液の流れが悪くなり、脚の筋肉や皮膚に十分な酸素と栄養が届かなくなります。これが末梢動脈疾患(PAD)による症状の原因となります。

PADに対してはまず生活習慣の改善や薬物療法(血液をサラサラにする薬や血管を拡げる薬など)で進行を防ぎ、症状を和らげることを目指します。

加えて、血管の詰まりが強い場合にはカテーテルを用いた血管拡張術(例:経皮的血管形成術〈PTA〉やステント留置)、あるいはバイパス手術などの外科的な血行再建術が行われます。

これらの治療によって多くの患者さんは改善しますが、動脈硬化が脚全体に及んでいて手術が困難なケースや、重篤な合併症のため手術に耐えられないケースも少なくありません。

実際、重症CLI患者の約10〜30%は血管再建術が「適応なし(no-option)」と言われ、有効な治療手段が乏しいのが現状です。こうした難治例では痛みや潰瘍が改善せず、最終的に足の一部を切断せざるを得なくなる恐れもあります。

現行治療の限界がある中で、「なんとか自分の足を残したい」と願う患者さんにとって新たな治療法の開発が強く望まれています。

末梢動脈疾患に対する幹細胞治療と再生医療の新たな可能性

そこで近年注目されているのが、幹細胞治療を用いた再生医療による新たなアプローチです。幹細胞治療とは、私たちの体を形作る元となる「幹細胞」という細胞を活用し、傷ついた組織の再生を促す治療法です。

動脈が詰まって血の巡りが悪くなった脚に対し、幹細胞を注入して体の中から新たな血管を生み出し、血流を改善することを目指します。バイパス手術などで「人工的にバイパス路を作る」のではなく、幹細胞が持つ力で自然なバイパス(側副血行路)の形成を促すイメージです。

実際、従来治療の選択肢がないCLI患者に対しては、このような再生医療的アプローチが新たな戦略として期待されています。

幹細胞にも様々な種類がありますが、末梢動脈疾患の再生医療で主に用いられているのは間葉系幹細胞(Mesenchymal Stem Cells, MSC)や骨髄・末梢血由来の単核細胞です。とりわけMSCは、骨髄や脂肪組織、臍帯(へその緒)など体の様々な部位から採取でき、培養して増やすことで必要な細胞数を確保できるため再生医療の細胞ソースとして有力です。

MSCは血管を再生させる成長因子を出したり炎症を抑えたりする能力に優れており、末梢動脈疾患の改善にも寄与しうることが分かっています。中でも近年注目されているのが、臍帯の中にある「ウォートンゼリー」というゼラチン状の組織から取れる臍帯由来幹細胞(Wharton’s Jelly-derived MSC, WJ-MSC)です。

これは出産時に胎盤とともに得られる組織由来の幹細胞で、若く活力が高い細胞であること、ドナー提供された臍帯から得られるため患者さん自身の体から細胞を採取する必要がなく負担が少ないこと、大量に増やして多人数の患者さんに提供できることなど多くの利点があります。

また、WJ-MSCは血管新生や抗炎症に関わる物質を豊富に分泌する能力が高いことが報告されており、末梢動脈疾患に対する幹細胞ソースとして大きな期待が寄せられています。

末梢動脈疾患に対する幹細胞治療の作用メカニズム

それでは、幹細胞を脚に注入するとどのように良い効果が得られるのでしょうか?

幹細胞治療が末梢動脈疾患に有効と考えられるのは、幹細胞がいくつもの役割を同時に果たしてくれる「マルチな治療者」だからです。幹細胞には大きく分けて次のような作用メカニズムが知られています。

新たな血管を生やす作用(血管新生の促進):

幹細胞は傷んだ組織周囲で「血管を作りなさい」という合図となる成長因子やサイトカインといった物質を大量に分泌します。そのおかげで、周囲の細胞たちが活性化されて毛細血管が新しく伸びていき、細胞レベルでの天然のバイパス血管形成(側副血行路の発達)が促されます。

例えば、骨髄由来の単核細胞中には血管のもとになる内皮前駆細胞(EPC)が含まれており、新生血管の一部として血管壁に組み込まれることで血管ネットワークを補強することも報告されています。幹細胞はまさに、荒れた庭に種をまき土壌を改良してあげる「園芸師」のように、新しい血の巡りを生み出す手助けをしてくれるのです。

炎症を抑える作用(抗炎症・免疫調節):

血流が悪くなった患部では、血管の詰まりによる組織ダメージに加えて炎症反応が起こり、その炎症がさらに血管や組織を傷つけるという悪循環があります。

幹細胞は炎症を鎮める抗炎症性のサイトカインも放出し、免疫の暴走にブレーキをかけてくれます。いわば、興奮しすぎた免疫に「落ち着いて」と声をかける調停役のような働きです。

これにより不要な炎症による組織破壊や痛みが和らぎ、治癒環境が整えられます。

組織を守り修復を促す作用(細胞保護・抗線維化):

幹細胞が分泌する物質には、血管新生や抗炎症だけでなく組織の細胞を守る作用や瘢痕化(線維化)を抑制する作用もあります。

酸素不足で瀕死になりかけている筋肉細胞に「頑張って生き延びて!」と働きかける保護因子(サイトプロテクティブ因子)を送り込むことで、組織の壊死を食い止める手助けをします。さらに、傷の治りに伴ってできる硬い瘢痕組織を過度に形成させないよう調節することで、柔軟な筋肉や皮膚組織の再生を促します。

このように壊死の進行を防ぎつつ組織修復を後押しすることで、最終的には足の機能を保つことに貢献します。

幹細胞治療では、骨髄由来の幹細胞(BM-MSC)や単核球(BM-MNC)、あるいは末梢血中の前駆細胞(EPC)といった細胞が、血流が悪くなっている脚の患部に注入されます。これらの細胞は体内で複数の有益な働きを同時に発揮します。

まず、幹細胞は血管の再生を促すために、成長因子やサイトカイン、酵素などの生理活性物質を分泌します。これにより、周囲の組織で新しい毛細血管が形成されやすくなり、血流が改善されていきます。

さらに、幹細胞は炎症を鎮める物質を放出し、過剰な免疫反応によって起こるダメージを抑えます。また、傷ついた組織が固くなってしまう「線維化(瘢痕化)」を防ぐ働きも持っており、これらの作用が組み合わさることで、患部の治癒を妨げていた悪循環を断ち切ることができます。

こうした幹細胞の作用によって、酸素や栄養が不足してダメージを受けていた骨格筋などの細胞が守られ、筋肉や皮膚の構造と機能が維持されやすくなります。

このように幹細胞治療は、単に「血管を作る」だけでなく、血流の回復・炎症の制御・組織の保護と修復といった複数の効果を通じて、末梢動脈疾患の症状緩和や回復促進に貢献します。

末梢動脈疾患に対する幹細胞治療の有効性のエビデンス

幹細胞治療には理論的な期待があるとは言え、「本当に効果があるの?」という点は気になるところですよね。

実際、過去20年ほどで世界中において末梢動脈疾患・CLI患者への幹細胞療法の臨床研究が数多く実施されてきました。その結果、幹細胞治療の有効性を示す前向きなデータが徐々に蓄積されています。

例えば、日本では2002年にCLI患者さん自身の骨髄細胞を脚に注射する治療の試験が行われ、足の痛みの軽減や潰瘍の治癒促進、さらには切断率の低下が報告されました。この研究(田邊・湯浅らのTACT試験)は世界的にも注目され、PADに対する細胞療法のさきがけとなったものです。

近年では、小規模な試験だけでなく複数の臨床試験結果をまとめて分析したメタアナリシスも発表されています。その一つでは、CLI患者を対象とした23件の無作為化比較試験(合計962名)を統合解析し、幹細胞治療の有効性と安全性が評価されました(PubMed ID: 29977308)。

解析の結果、幹細胞を用いた群では従来治療のみの群に比べて以下のような改善が認められています。

  • 難治性の足潰瘍が治癒しやすくなる(傷の改善傾向)
  • 血管新生の指標が有意に向上する(新たな毛細血管の形成が促される)
  • 足首上腕血圧比(ABI)や経皮的酸素分圧(TcO₂)といった血流・酸素指標の改善
  • 安静時の足の痛みの軽減や、痛みなく歩ける距離の延長(歩行能力の改善)
  • 一定期間内の足の切断(下肢切断)に至るリスクの低減

このように、幹細部治療を受けた患者さんは血流の客観的な指標が改善し、症状や運動能力も向上、さらに重大な転帰である切断に至る割合も少ないことが示されています。

研究によっては効果の程度にばらつきがあるものの、総じて従来治療では救えなかった足を幹細胞治療によって救える可能性が示唆されています。

さらに、新しい細胞ソースである臍帯由来幹細胞(WJ-MSC)を用いた臨床研究も登場しています。例えば2024年に報告されたある第I相臨床試験では、糖尿病を合併した重症CLI患者に対し他家由来のWJ-MSCを脚の筋肉内に注射し、その安全性と効果を観察しました。

その結果、治療を受けた全ての患者さんで6か月間足の切断(足指の切断も含め)が回避され、重篤な副作用も認められませんでした。また、治療後6か月で足の痛み(VASスコア)の有意な軽減と痛みなく歩行できる時間の延長、足の機能スコア(FADI)の改善が見られています。

患者数は少ないものの、最先端のWJ-MSC療法によって「足の痛みが和らぎ歩けるようになる」という大きな改善が得られた意義深い報告です(PubMed ID: 38112806)。この他にも現在、世界各国で様々な幹細胞を用いたPAD治療の臨床試験が進行中であり、新たなエビデンスが続々と蓄積されつつあります。

こうした研究の積み重ねが、幹細胞治療をより確立された治療選択肢へと近づけているのです。

末梢動脈疾患に対する幹細胞治療の安全性と副作用

新しい治療法となると安全性や副作用も気になるかもしれません。

結論から言えば、末梢動脈疾患に対する幹細胞治療は現在までの研究で概ね良好な安全性が報告されています。複数の臨床試験を統合した解析でも、幹細胞治療による深刻な副作用(有害事象)は認められなかったことが明らかにされています。

特に重篤な免疫拒絶反応や治療関連死などは一例も報告されておらず、安全面で大きな懸念はないと考えられています。むしろ、従来治療では打つ手のないCLI患者さんにとってはリスクより得られる可能性のある利益の方が大きいでしょう。

実際に報告されている副作用らしい副作用はごく軽微なものに留まっています。例えば、細胞を注射した部位の一時的な痛み・腫れ、点滴時の軽い発熱や倦怠感などがまれに見られましたが、いずれも一過性で適切な対処により消失しています。

注射による血腫(内出血)がごくわずかに起きた例もありますが、こちらも自然に改善しており問題にはなっていません。逆に言えば、それ以上の重篤な合併症は報告されていないということです。

また、他人の幹細胞(ドナー由来細胞)を用いる場合についても心配される拒絶反応は今のところ確認されていません。MSC自体に免疫を調節する働きがあるため、体に入れても攻撃されにくい=拒絶されにくいという性質が一因と考えられています。

安全性に関してさらに付け加えると、幹細胞治療は注射や点滴による低侵襲の療法であり、胸や脚の血管を大掛かりにバイパスするような外科手術と比べて患者さんへの身体的負担が少ない点も見逃せません。

先述の臍帯由来幹細胞の試験でも、6か月の追跡期間で副作用は一切報告されませんでした。幹細胞治療そのものの安全性に加え、治療プロセス自体も患者さんにやさしい方法であることは大きな利点です。

以上より、末梢動脈疾患に対する幹細胞治療は安全面でも比較的安心して受けられる新療法と言えるでしょう。

おわりに

末梢動脈疾患(PAD)の患者さんにとって、幹細胞治療はこれまで光の見えにくかった重症例にも新たな希望をもたらす可能性のある再生医療です。

まだ一般的な治療法として確立された段階ではありませんが、国内外で活発に臨床研究が行われており、医療現場に導入されつつある先端領域です。従来の治療と併用することで相乗効果を発揮し、血管病に対する治療成績をさらに向上させられる未来も期待されています。

大切なのは、「もう治療法がない」と諦めないことです。

幹細胞治療の進歩によって、これまで切断するしかなかった足が救えるかもしれません。患者さん・ご家族にとっても大きな安心材料となり得るでしょう。

末梢動脈疾患でお困りの方や幹細胞治療にご興味のある方は、ぜひ一度専門の医療機関や主治医にご相談ください。最新の研究動向も踏まえて、最適な選択肢について説明を受けることができるはずです。

幹細胞治療という新たな一手が、皆さまの将来における「歩行の喜び」と「生活の質の向上」へつながることを願っています。