糖尿病は、血糖値が慢性的に高くなる病気で、1型と2型に大別されます。
1型では免疫異常によりインスリンを作る細胞が破壊され、終生のインスリン注射が必要になります。2型ではインスリンが効きにくくなり、分泌も減少するため、進行するとインスリン治療が必要になることがあります。
いずれも、治療は主に血糖のコントロールが中心で、長期的な合併症を完全に防ぐことは困難です。このような課題に対し、近年は“根本的な改善”を目指す再生医療が注目されています。
なかでも、インスリン分泌の回復と免疫環境の調整を同時に目指す幹細胞療法(MSC療法)は、有望な新しい治療選択肢として期待されています。
再生医療としての幹細胞療法とは
これまでの糖尿病治療は、血糖値をコントロールする「管理中心」のアプローチでした。しかし、膵臓の機能そのものを回復させる「根本的な治療法」が求められる中、再生医療が注目されています。
再生医療とは、損傷した臓器や組織の機能を自分の体の力で修復・再生させる医療分野です。糖尿病においては、インスリンを作る膵臓のβ細胞の働きを取り戻すことを目的として、さまざまな再生技術が研究されています。
その中でも特に有望とされているのが、幹細胞を用いた治療です。幹細胞は、他の細胞に変化(分化)したり、必要な物質を放出したりする能力を持っており、組織を“育て直す”細胞の土台ともいえます。
なかでも注目されているのが、「間葉系幹細胞(MSC)」と呼ばれる細胞です。MSCは、骨髄、脂肪、臍帯(へその緒)などの組織から採取でき、増殖力が高く、多様な細胞に変化できる(多能性)という特性を持っています。
糖尿病の分野では、MSCには次のような2つの特徴が期待されています:
- β細胞に分化して、不足したインスリン分泌を補う可能性
- サイトカインや成長因子を分泌して、周囲の組織環境を整え、自身の回復力を引き出す
とくに、臍帯由来のウォートンジェリーMSCは、増殖能に優れ、かつ免疫拒絶が起こりにくい点が大きな利点です。新生児のへその緒から採取されるため、細胞が若く、遺伝的な拒絶反応を起こしにくいとされています。
また、患者本人の細胞を使う治療では採取手術が必要になることもありますが、ウォートンジェリーMSCはドナー由来でも安全に使用できることから、身体的な負担を大幅に減らすことができます。
このように、MSCは単なる“補う”治療ではなく、身体の再生力を呼び起こす治療として期待されており、糖尿病の新たな選択肢として注目されています。
POINT
- 糖尿病の再生医療では、インスリンを作る膵島細胞の機能回復が目指されている
- 間葉系幹細胞(MSC)は、多能性と分泌能力の両面で再生効果が期待されている
- MSCはβ細胞の補完と組織環境の調整という二重の働きを持つ
- 臍帯由来のウォートンジェリーMSCは、若く免疫拒絶が起こりにくく、ドナー由来でも安全に使用できる
- 手術を伴わず低侵襲で投与できる点でも、患者への負担が少ない治療法である
MSCがもたらす多面的な作用メカニズム
MSC療法の効果は、単に細胞を補うだけにとどまりません。
膵臓局所から全身の代謝環境まで、幅広いレベルでの“調整・回復・活性化”が可能とされており、まさに糖尿病治療における「多機能スイッチ」のような役割を果たします。
ここでは、MSCがもたらす代表的な3つの作用について整理します。
免疫の調節(自己免疫の抑制)
1型糖尿病では、自己免疫によって膵臓のβ細胞が破壊されます。MSCは、IL-10やTGF-βといった抗炎症性サイトカインを分泌し、免疫の過剰な活性化を穏やかに抑える作用があります。
特に、制御性T細胞(Treg)を増やし、炎症性T細胞(Th1/Th17系)やIFN-γの産生を抑えることが確認されており、膵島を取り巻く攻撃性の高い免疫環境を静める効果が期待されています。
この働きは、例えるなら“暴走しかけた免疫エンジンにブレーキをかける制御システム”のようなものです。
組織修復・再生の促進
MSCはVEGFやHGFなどの成長因子を分泌し、損傷した組織の修復や血管新生を促進します。膵臓においては、残存するβ細胞の生存と機能維持を助けるほか、インスリンを作る新しいβ細胞の再生を促す可能性も指摘されています。
実験では、MSCがインスリン分泌能を持つβ細胞様細胞に分化する例も報告されています。つまり、壊れた細胞工場に修理部隊を送り込み、再稼働を支えるような働きと言えるでしょう。
炎症の抑制と代謝環境の改善
2型糖尿病では、慢性炎症がインスリン抵抗性の背景にあります。MSCが分泌する抗炎症性サイトカイン(IL-10など)は、IL-6やIL-1βといった炎症性サイトカインの過剰産生を抑制します。
また、免疫細胞の構成を炎症誘導型から抑制型に転換することで、全身の代謝環境が「インスリンが効きやすい状態」へと変化します。この仕組みは、全身の代謝信号がうまく伝わらなかった状態に対して、**“通信障害を修復する回線工事”**のようなイメージです。
以上のように、MSC療法は膵臓という“現場”に働きかけるだけでなく、免疫・炎症・代謝という全身のシステムに作用します。このように複数の回路を同時に整えることができる点が、他の治療法にはない幹細胞療法の大きな特長です。
POINT
- MSCは1型糖尿病で問題となる自己免疫反応を抑制する作用を持つ
- 損傷した膵β細胞の保護・再生を促進し、インスリン分泌機能の回復に寄与する
- 慢性炎症を抑え、インスリン抵抗性を改善することで、2型糖尿病の代謝環境にも作用する
- 免疫、膵臓、代謝という異なるレベルに対して同時にアプローチできる点がMSCの特長である
臨床研究が示す幹細胞療法の効果
1型糖尿病における効果
1型糖尿病に対するMSC療法では、複数の臨床試験において、血糖コントロールの改善やインスリン使用量の減少が確認されています。特に、Cペプチド(体内でインスリンが作られているかを示す指標)の上昇やHbA1cの改善が見られる例が多く、インスリン注射が不要となる可能性も示されています。
実際、ある研究では、MSCを投与された患者の約2割がインスリン注射を中止できたと報告されており、他の多くの患者でも必要量が大きく減少しています。
また、幹細胞の種類によって効果が異なるとの報告もあります。臍帯由来のMSC(ウォートンジェリーMSC)は、骨髄由来に比べてHbA1cの改善幅やCペプチドの上昇が大きく、膵β細胞の機能維持に優れている可能性が示されています。
長期的な効果についても報告があり、MSC治療を受けた患者の約8割が、3年以上にわたってHbA1cを安定して維持したとされています。通常、時間とともに血糖コントロールは悪化する傾向にあるため、これは大きな注目点です。Cペプチドの減少も緩やかになっており、膵臓の働きを保つ効果が期待されます。
さらに、複数の臨床研究をまとめて評価した分析でも、MSCはインスリン使用量の削減や血糖コントロールの安定化に役立つ可能性があると結論づけられています。
POINT
- MSCの投与により、Cペプチドの上昇とHbA1cの改善が報告されている
- 患者の約2割でインスリン注射が不要になるなど、有効性が示唆されている
- 臍帯由来MSCは、骨髄由来よりも効果が高い可能性がある
- HbA1cを3年以上安定して維持した例もあり、長期効果にも注目が集まっている
- 複数の研究を総合しても、インスリン必要量の削減と血糖コントロールの改善が支持されている
2型糖尿病における効果
2型糖尿病を対象とした研究でも、MSCの投与によって血糖管理が改善するという報告が増えています。特に、インスリンを必要とする重症の患者で、インスリン分泌の回復と血糖の安定化が確認されています。
ある臨床試験では、胎盤由来MSCを投与した結果、インスリンの必要量が半減し、Cペプチド値の上昇も確認されました。別の試験では、臍帯由来MSCを使用した患者のうち、41%がインスリン注射を中止し、94%でインスリン使用量が減少したと報告されています。
加えて、免疫と炎症に関する指標も改善が見られました。MSCの投与後には、炎症性T細胞の活性が抑えられ、IL-6やIL-1βといった炎症性サイトカインの数値も低下しています。これらの変化は、インスリン抵抗性の改善に寄与したと考えられます。
さらに、合併症の発症リスクを抑える効果も報告されています。臍帯MSCの研究では、治療後1年以上インスリン治療が不要となった患者が3割にのぼり、腎症や神経障害などの合併症も少なかったとされています。
血糖だけでなく、全身の代謝状態や生活の質にも良い影響が及ぶ可能性があることから、MSC療法は糖尿病の新たな治療選択肢として注目されています。
POINT
- 重症の2型糖尿病でもインスリン使用量が大幅に減少した例がある
- CペプチドやHbA1cの改善が報告され、血糖管理に前向きな効果が示されている
- 炎症の抑制とインスリン抵抗性の緩和が確認されている
- 合併症リスクの軽減や、長期にわたる血糖安定も期待されている
- 膵臓・免疫・代謝の3方向に働きかける多機能な治療として注目されている
幹細胞療法の安全性と副作用リスク
新しい治療法を導入するうえで、その安全性は最も重要な検討項目です。これまでに実施された多数の臨床試験において、間葉系幹細胞(MSC)を用いた治療では、重篤な副作用や合併症がほとんど報告されていません。国内外の研究によって、糖尿病患者へのMSC投与が高い安全性を示すことが明らかになっています。
なかでも、当院で使用している臍帯由来のウォートンジェリーMSCは、実際の臨床使用例においても有害事象が確認されておらず、安全性の高さが裏付けられています。さらに、近年のメタ解析でも、1型および2型糖尿病のいずれに対しても、MSC治療は有効性と安全性を両立する治療法として評価されています。
この安全性の背景には、MSCの免疫原性の低さが関係しています。通常、他人由来の細胞を体内に入れると免疫拒絶反応が生じますが、MSCは細胞表面のHLA(ヒト白血球抗原)の発現が低く、免疫に認識されにくい性質を持っています。そのため、ドナー由来の細胞であっても、特別な免疫抑制剤を使うことなく、安全に投与が可能です。
さらに、MSC療法は体への負担が少ない点でも評価されています。治療は主に点滴によって行われ、局所への投与にも対応可能であり、一般的な手術のような侵襲を伴いません。多くの場合、外来で施術を完了できるため、入院を必要としない治療として患者の負担を軽減できます。
これらの点から、幹細胞療法は糖尿病に対する先進的な治療でありながら、副作用の少なさと低侵襲性を兼ね備えた選択肢として十分に検討する価値があるといえるでしょう。
POINT
- MSC療法では、重篤な副作用や有害事象の報告はきわめて少ない
- 臍帯由来のMSCは、安全性と安定性の両面で特に優れた実績がある
- MSCは免疫原性が低く、拒絶反応が起こりにくいため、免疫抑制剤なしで投与可能
- 投与方法は点滴中心であり、入院不要の低侵襲な治療法としても注目されている
- 安全性と実用性を兼ね備えた治療選択肢として、今後の導入拡大が期待される
糖尿病治療の未来に向けて
幹細胞療法は、膵島細胞の再生と免疫の正常化を同時に促すことで、糖尿病の本質的な改善を目指す再生医療です。
国内外の研究では、安全性と有効性の両面で前向きな成果が報告されており、今後の実用化に向けた動きも着実に進んでいます。インスリンに頼らず血糖を安定させる治療や、合併症の進行を未然に防ぐ医療が、幹細胞によって現実のものとなる日が近づいています。
長く向き合う疾患だからこそ、根本からの改善を目指す新しい選択肢が、希望をもたらしてくれるはずです。
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Paracrine Mechanisms of MSCs in Regenerative Medicine