クローン病と現在の治療の課題
クローン病は消化管に慢性的な炎症が起こる疾患で、腹痛や下痢、体重減少などの症状を繰り返し引き起こします。症状が落ち着く寛解期と悪化する活動期を周期的に繰り返すのが特徴で、根本的な完治が難しい病気です。
現在の治療法の中心はおもに薬による炎症のコントロールと、必要に応じた外科手術です。しかしそれぞれに課題があります。
薬物療法の課題:
ステロイドや免疫調節薬、生物学的製剤(抗TNF抗体など)によって炎症を抑えるのが一般的です。
これらの薬で多くの場合症状を和らげ寛解状態に導けますが、長期使用による副作用(例:感染症リスクや骨粗鬆症など)や、薬に対する反応が徐々に低下して効果が薄れてしまうケースもあります。
また薬で症状を抑えても病気自体を治せるわけではなく、再燃(再発)する可能性が残ります。
手術療法の課題:
腸管の重度な狭窄(きょうさく)や瘻孔(ろうこう:腸に穴が開き膿の通り道ができること)など合併症が生じた場合、外科手術で病変部を切除したり瘻孔を閉じたりします。
手術を行うと一時的に症状は改善しますが、体への負担が大きく、また再発の可能性もあります。クローン病は消化管のどの部分でも再燃し得るため、手術後も別の箇所で炎症が起こることがあり得ます。
根本原因を解決しない限り、生涯にわたるケアが必要となるのが現状です。
このように現在の治療は「症状を抑える」対症療法が中心であり、完治を目指すには限界があります。患者さんやご家族にとっては、副作用の不安や再発への恐れと常に向き合わねばならず、「将来ずっとこのままなのか」という不安を抱える方も少なくありません。
そこで近年、新たな選択肢として注目されているのが幹細胞治療をはじめとする再生医療です。
クローン病に対する幹細胞治療と再生医療の新たな可能性
再生医療とは、人体が本来持つ修復再生する力を活用して病気の治療を行う医療分野です。その中心的な存在が幹細胞と呼ばれる細胞です。
幹細胞とは体の中で様々な細胞に育つ元になる細胞のことで、傷ついた組織の修復や身体機能の再生を助ける働きを持ちます。なかでも間葉系幹細胞(MSC)と呼ばれるタイプの幹細胞は、免疫を調節する作用と組織を修復する作用をあわせ持ち、クローン病など炎症性疾患への応用が期待されています。
現在、幹細胞治療はクローン病に対して新たな可能性を拓きつつあります。従来の薬物療法が「炎症を起こす免疫の暴走を薬で無理やり押さえ込む」アプローチだとすれば、幹細胞治療は「体内に本来備わっている修復・調整役を送り込む」アプローチと言えます。
患者さん自身の体やドナー(提供者)から採取した幹細胞を点滴などで体内に戻すことで、過剰な炎症を鎮め、傷ついた組織の再生を促すことが期待できるのです。言い換えると、クローン病で乱れた免疫反応を落ち着かせ、腸の粘膜を治癒へ導くサポートをしてくれる治療法です。
幹細胞には様々な種類がありますが、間葉系幹細胞は骨髄や脂肪組織、臍帯(へその緒)など多様な組織から採取できます。特に最近注目されているのがウォートンジェリー由来幹細胞(WJ-MSC)と呼ばれる、臍帯の中のゼリー状組織(ウォートン膠質)から取れる間葉系幹細胞です。
このWJ-MSCは出産後に廃棄される臍帯を利用するため採取に痛みや負担がなく、得られる細胞も若く増殖能力が高いことに加え、免疫的に拒絶されにくい(免疫特権と低い免疫原性を持つ)という利点があります。
こうした特徴から、再生医療の新たな細胞源としてWJ-MSCは期待されており、クローン病への幹細胞治療にも応用され始めています。
クローン病に対する幹細胞治療の作用メカニズム
では、幹細胞を体に入れると具体的にどのように働くのでしょうか?イメージしやすいように、車のブレーキと修理屋に例えて説明します。
クローン病では本来体を守るはずの免疫が暴走し、自分の腸を攻撃して炎症を起こしています。この状態はまるでブレーキの壊れた暴走車のようです。
通常、免疫には炎症を起こす「アクセル役」と炎症を抑える「ブレーキ役」がありますが、クローン病ではブレーキがうまく働かずアクセル全開になっている状態です。
そこで幹細胞が体内のブレーキ役として働き、暴走した免疫反応にストップをかけます。幹細胞(特にMSC)は周囲に「落ち着きなさい」という信号を出し、免疫の暴走を穏やかに鎮めてくれるのです。
これはちょうど、乱暴に走る車に新しいブレーキを取り付けて速度を緩めるようなイメージです。
さらに、暴走で傷んでしまった腸の粘膜に対しては、幹細胞が「修理工」の役割も果たします。MSCは傷ついた組織に集まり、そこで組織の修復を手助けする物質を分泌します。
この物質の集まりをセクレトームといい、中には炎症を鎮めるサイトカインや成長因子など様々な“修理キット”が含まれています。これによって、炎症で傷ついた腸の組織が新しく再生しやすい環境を整えてくれるのです。
またMSC自体も必要に応じて腸の組織の細胞に分化する能力を持っており、損傷部位の治癒を直接サポートする可能性もあります。
科学的にもう少し補足すると、MSCは免疫細胞のバランスを整える司令塔のように働きます。
例えば、本来炎症を抑える役割の抗炎症性マクロファージ(M2マクロファージ)を増やし、炎症を激化させる好中球や樹状細胞といった細胞の過剰な働きを抑制することが報告されています。
さらに免疫の司令官であるT細胞やB細胞にも作用し、それらが出す炎症物質(サイトカイン)の放出を減らすことで免疫の暴走にブレーキをかけるのです。一方で傷ついた組織の修復を促すため、血管を新生させる物質や組織の再生を助ける成長因子も供給します。
これら複合的な作用により、幹細胞治療は「炎症を鎮めつつ組織を治す」という一石二鳥の効果を発揮すると考えられています。
要約すれば、幹細胞治療は免疫の調整役と組織の再生促進役を同時に担う治療法です。クローン病で乱れた免疫システムにブレーキを提供し、損傷した腸に修復の手助けをすることで、これまで難しかった長期寛解(長く症状が落ち着いた状態)や粘膜治癒の実現に希望をもたらしています。
クローン病に対する幹細胞治療の有効性のエビデンス
幹細胞治療は新しい療法ですが、世界中で臨床研究や治験が行われ、その有効性に関するデータが蓄積されつつあります。その結果、「効きそうだ」から「実際に効くかもしれない」へと評価が高まってきています。
いくつかそのエビデンス(科学的根拠)をご紹介しましょう。
複数試験の総合解析(メタ解析)の結果:
2024年に発表された複数の臨床試験をまとめた解析によれば、従来の治療で効果が不十分な難治性クローン病患者さんに対し幹細胞治療を行うと、従来治療のみの場合に比べて約2倍の割合で寛解(症状が落ち着いた状態)が得られたと報告されています。
この解析では12のランダム化比較試験(合計632人)のデータを統合しており、科学的信頼度の高い結果です。
また注目すべきは安全性の項で述べるように、重篤な副作用の発生率が対照群と差がなかった点で、効果が高まる一方で安全性が損なわれていないことが示唆されました。
臨床試験の具体的な成果:
幹細胞治療を実際にクローン病患者さんに試した臨床試験も多数報告されています。
例えば、中国で行われた臍帯由来幹細胞(WJ-MSC)点滴投与の無作為化比較試験では、幹細胞を投与されたグループで症状スコアの改善やステロイド必要量の減少などが有意に認められ、「幹細胞治療は安全に疾患状態を改善できる」と結論づけられました。
他の研究でも、幹細胞治療後に腸の内視鏡所見が改善し粘膜が治り始めた例や、難治性の瘻孔が閉鎖した例が報告されています。実際、クローン病による肛門周囲の難治性瘻孔(肛門部に生じる複雑な瘻孔)に対しては、幹細胞の局所注射が高い有効性を示し、従来は治りにくかった瘻孔が閉じるケースが増えてきました。
こうした成果は患者さんのQOL(生活の質)向上に直結するものです。
海外での承認例:
幹細胞治療の有効性は医療現場にも徐々に取り入れられ始めています。その代表例が欧州での承認です。
2018年、ヨーロッパにおいてクローン病に伴う複雑瘻孔の治療として幹細胞製剤(商品名:Alofisel®, 一般名:darvadstrocel)が承認されました。この製剤は他人の脂肪組織由来MSCを培養して患部に注射する治療で、既存の治療(抗TNF製剤など)で効果がない難治性の瘻孔患者さんに用いられます。
欧州医薬品庁(EMA)は「従来療法に反応しない複雑な肛門瘻孔に対し、Alofiselを使用できる」ことを適応症として認めており、世界初の幹細胞治療薬として注目されました。
この承認は、幹細胞治療の有効性が科学的にも臨床的にも認められつつある証と言えるでしょう。
こうしたエビデンスは、幹細胞治療がクローン病患者さんにもたらす可能性を裏付けています。もちろん現時点では治験段階のものや特定の症例に限ったものも多く、万能薬ではありません。
しかし、「これまで治せなかったものを治す手段になり得る」という希望を十分に感じさせる結果が積み重なってきています。
幹細胞治療は日々研究が進んでおり、今後さらに効果の範囲や持続期間などが明確になってくるでしょう。
クローン病に対する幹細胞治療の安全性と副作用
新しい治療を検討する際、患者さんが特に心配されるのが安全性や副作用ではないでしょうか。幹細胞治療について現時点で報告されている安全性プロファイルは、非常に良好です。
上述のような国内外の臨床研究において、深刻な副作用はほとんど報告されていません。
例えば先ほど触れた2024年のメタ解析では、幹細胞治療を受けた患者さんと従来治療のみの患者さんで重篤な副作用(感染症や癌など)の発生率に有意差がなく、安全性において懸念が増えることはなかったと結論づけられています。
幹細胞治療は基本的に患者さん自身の細胞あるいはヒト由来の細胞を用いる治療です。そのため、薬物治療のように化学物質による全身副作用(胃腸障害や肝障害など)が起こるリスクは低いと考えられています。
点滴や注射で細胞を体内に入れる際、ごくまれに一過性の発熱や頭痛、アレルギー様の反応が起きることがありますが、多くは軽微で一時的なものに留まります。また他人の幹細胞を使う場合でも、MSCはもともと免疫に認識されにくい性質を持つため拒絶反応が起こりにくく、安全に他家由来の細胞を使えるとされています。
特にWJ-MSCのように免疫原性が低い細胞は、ドナー(提供者)が別の人でも患者さんの体が受け入れやすいことが確認されています。
さらに、欧州で承認されたMSC製剤Alofisel®の治験や市販後データでも、大きな安全性の問題は報告されていません。長期的な安全性については現在も観察・研究が続けられていますが、少なくとも数年単位では重篤な合併症なく患者さんが経過しているとの報告があります。
むしろステロイドなど従来の強力な薬剤の方が、長期間の使用で感染症や生活習慣病など様々な副作用リスクを伴うため、幹細胞治療によってそれらの薬剤を減量・中止できればトータルとして副作用リスクを下げられる可能性もあります。
総合すると、幹細胞治療は効果だけでなく安全性の面でも優れたバランスを持つ治療といえます。もちろん「絶対安全な治療」は存在しませんが、現時点で判明している限り幹細胞治療に特有の重大な副作用は報告されておらず、安心して臨床応用に踏み出せる段階に来ています。
治験に参加した患者さんからも「治療による大きな不調は感じなかった」「点滴を受けただけで体への負担は少なかった」という声が上がっており、従来の手術などと比べても体に優しい治療と言えるでしょう。
おわりに
クローン病に対する幹細胞治療は、今まさに登場しつつある新たな治療の選択肢です。現在も研究開発が進められており、万能の治療とは言えないまでも、これまで難治だった病態に光を当てる大きな希望として期待されています。
従来の治療でうまくいかず悩んでいる患者さんにとって、幹細胞治療は「次の一手」になり得る可能性があります。
幹細胞治療は再生医療の専門施設や一部の医療機関で徐々に導入が始まっています。日本でも先進医療や臨床研究として実施されており、当院でも患者さんの状態に応じてご提案できる場合があります。
「自分(家族)も受けられるのだろうか?」「もっと詳しく話を聞いてみたい」と感じられたら、ぜひ遠慮なくご相談ください。私たち医療者は常に患者さんにとって最善の選択肢を一緒に考え、安心して治療に臨めるようサポートいたします。
苦しい症状と闘う患者さん・ご家族にとって、幹細胞治療という新しい扉が安心感と希望をもたらすことを願っています。現在の医学の進歩により、クローン病の克服に向けた道筋が少しずつ見えてきました。
この先、幹細胞治療がさらに発展し、多くの方が病気に縛られない日常を取り戻せる未来が訪れることを信じています。もしクローン病の治療でお悩みでしたら、お一人で抱え込まずに専門医療機関にご相談ください。
私たちは皆さんの「腸を取り戻す」お手伝いができるよう、最新の知見と技術をもって全力で支援いたします。