自閉症スペクトラム障害(ASD)は幼少期に発症する発達障害で、社会的なやりとりやコミュニケーションに困難を伴うことが特徴です。
日本でも多くの子どもがASDと診断されており、世界保健機関(WHO)はその有病率がおよそ100人に1人と推計しています。しかしASDを根本的に治す治療法は確立されておらず、現状は症状を和らげる対症療法が中心です。
このような中、近年注目を集めているのが幹細胞治療と呼ばれる再生医療の新たなアプローチです。
幹細胞治療は、ASDの症状に対してこれまでにない角度から作用する可能性があり、患者さんやご家族にとって新たな希望の光となり得るかもしれません。
現在のASD治療の現状と課題とは?
ASDとはどのような障害か?
自閉症スペクトラム障害(ASD)は、生まれつき社会的なコミュニケーションが苦手だったり、行動や興味に偏りが見られる発達障害です。幼児期から兆候が現れ、人との関わり方や言葉の発達、想像力や興味の持ち方に独特な特徴が現れます。
ASDには個人差が大きく、
- 社会的コミュニケーションの困難: アイコンタクトや表情、ジェスチャーで感情を伝えることが難しい、対人関係を築くのが苦手など
- 反復的な行動・興味の偏り: 特定の物事への強いこだわり、同じ動作を繰り返す、予定変更への強い抵抗など
といった特徴が見られます。ただしASDの表れ方は人それぞれで、支援次第で自立した生活ができる場合もあれば、終生にわたりサポートが必要な場合もあります。いずれの場合も、本人と周囲の深い理解と支援が不可欠です。
現行治療は症状への対処が中心
現在のASD治療は、症状に応じた対症療法が中心です。ASDそのものを完治させる治療法は存在していません。
主な治療・支援方法としては、
- 行動療法: 好ましい行動を強化し、不適切な行動を減らすABA療法など
- 心理社会的支援: ソーシャルスキルトレーニングやペアレントトレーニング
- 作業療法・言語療法: 日常生活動作やコミュニケーション力の支援
- 薬物療法: 随伴症状(不眠・興奮など)への対処。ただしASD中核症状には直接作用しない
このように、現在の治療はASDの「症状を緩和し、適応を助ける」ことが目標であり、社会性やコミュニケーションの障害を根本的に改善するものではありません。
新たな治療戦略の必要性
ASDの中核症状に直接働きかける根本治療法が存在しないため、医学界では新しい治療アプローチの開発が強く求められています。
従来の薬物療法は、付随する症状(例えば興奮しやすさ、不眠など)を軽減するにとどまり、中核となる社会性・コミュニケーションの障害には効果が限定的です。加えて、薬物療法には副作用リスクも存在します。
こうした背景から、近年では生物学的原因や脳機能特性にアプローチする治療を目指す研究が進んでおり、再生医療の知見を応用した幹細胞治療への期待も高まっています。
POINT
- ASDは社会的コミュニケーションと行動パターンに特徴が現れる発達障害
- 現在の治療は症状の対処が中心で、根本治療は存在しない
- 行動療法や心理社会的支援などが主要なアプローチ
- 中核症状に直接作用する新たな治療法の開発が求められている
- 再生医療を応用した幹細胞治療にも注目が集まっている
ASD治療に再生医療で新たな光:幹細胞療法への期待
再生医療がもたらす新しい可能性
これまでASD(自閉症スペクトラム障害)の治療は、行動療法や周辺症状の対処が中心でした。そこに登場したのが、再生医療の知見を応用した幹細胞治療です。
幹細胞を利用することで、ASDの脳に見られる生物学的な異常そのものへアプローチし、症状の根本改善につながる可能性が期待されています。
まるで「枯れた土地に新たな芽吹きを促す」かのように、神経の機能回復や炎症の鎮静といった多角的な働きが期待できるのです。
幹細胞とは?ASDで注目される間葉系幹細胞(MSC)
幹細胞とは、自分自身を複製でき、必要に応じて体のさまざまな細胞に変化できる特別な細胞です。
なかでも間葉系幹細胞(MSC)は、傷ついた組織の修復や免疫の調整に優れており、ASD治療でも最も注目されている種類です。
- 自己複製能:自分自身を増やす能力
- 多分化能:筋肉・神経など様々な細胞へ分化できる能力
- 免疫調整機能:炎症を抑え、免疫のバランスを整える作用
しかもMSCは、倫理的問題が少なく、がん化リスクも非常に低いため、臨床応用に適した「安全な細胞源」として世界中で注目されています。
臍帯由来の「ウォートンジェリー幹細胞(WJ-MSC)」が最有力
数あるMSCの中でも、特に臍帯(へその緒)の中のゼリー状組織から採取されるウォートンジェリー由来MSC(WJ-MSC)が、ASD治療に適していると考えられています。
WJ-MSCは、
- 豊富に存在し、採取が容易(出産時に自然に得られる)
- 高い増殖能力と多分化能を持つ
- 強い免疫調整・抗炎症作用を発揮
- 他人由来でも拒絶反応が起きにくい
という優れた特性を備えています。
若い細胞が壊れた神経ネットワークを整え、炎症を鎮めるサポート役となってくれるイメージです。
このような理由から、ウォートンジェリー由来MSCはASDに対する再生医療の中でも特に有望な治療細胞として期待されています。
これらの理由から、WJ-MSCはASDに対する間葉系幹細胞療法の中でも最も注目度の高い細胞です。体外で大量に増やせるため反復投与もしやすく、将来的に「治療の標準細胞」として確立される可能性も期待されています。
実際、WJ-MSCを用いたASD治療は研究段階ながら成果が報告され始めており、ASDの新たな治療パラダイム(枠組み)となり得ると期待されています。
POINT
- 幹細胞治療はASDの根本的改善を目指す新たなアプローチ
- 間葉系幹細胞(MSC)は修復と免疫調整に優れた働きを持つ
- 倫理的問題や腫瘍化リスクが少なく、安全な細胞源として使われている
- 臍帯由来のWJ-MSCは増殖力・分化力・免疫調整力すべてに優れる
- WJ-MSCはASDに対する革新的な再生医療細胞となり得る
幹細胞治療はなぜ効く?その作用メカニズムを解説
ASDの脳には慢性的な炎症がある
自閉症スペクトラム障害(ASD)の患者さんの脳内では、慢性的な神経炎症や免疫バランスの異常が起きていることが研究で明らかになっています。
ミクログリア(脳の免疫細胞)が活性化しすぎ、炎症性サイトカイン(IL-1βやTNF-αなど)が過剰に放出され、神経ネットワークの形成を妨げる原因になっていると考えられています。
簡単に言えば、ASDの脳は「くすぶる火種(慢性炎症)」を抱えており、この炎症を鎮めることが症状改善のカギになるのです。
MSCは炎症を鎮め、脳内環境をリセットする
間葉系幹細胞(MSC)は、過剰な免疫反応を抑制し、脳の炎症を鎮火する力を持っています。MSCはサイトカインや成長因子を分泌し、次のような働きをします:
- ミクログリアの暴走を抑制し、炎症を沈静化
- 炎症を抑える抗炎症性サイトカイン(IL-10など)の産生を促進
- 免疫細胞(T細胞など)の反応を穏やかに調整
例えるなら、MSCは「暴れすぎた消防隊をなだめる司令塔」のような存在です。脳内の炎症を穏やかにし、神経細胞が活動しやすい環境を整えます。
損傷した神経回路を修復し、機能を取り戻す
MSCは炎症を抑えるだけでなく、傷んだ神経細胞を守り、修復を促す働きも持っています。
具体的には:
- 神経細胞の生存率を高める成長因子を分泌
- アポトーシス(計画的細胞死)を抑制して神経細胞を救う
- 新たなシナプス(神経のつながり)の形成を促進
- 脳内の神経幹細胞を活性化して神経新生を後押し
これにより、壊れてしまった神経ネットワークが再びつながる助けとなり、認知機能や行動パターンの改善が期待されます。たとえるなら、MSCは「壊れた橋を修理して新しい道路を作る工事チーム」のような役割を果たします。
神経の成長を助ける栄養素を補給
MSCは、神経細胞を育てるために欠かせない神経栄養因子(ニューロトロフィン)も豊富に供給します。
例えば:
- 脳由来神経栄養因子(BDNF)
- グリア細胞由来神経栄養因子(GDNF)
これらは神経細胞の成長、シナプス形成、脳の柔軟な適応力(可塑性)を高める働きを持ちます。特にBDNFは、記憶・学習・行動に大きく関わるため、ASD症状の改善にも直結する重要な因子といえます。
エネルギー代謝と酸化ストレスもサポート
さらにMSCは、脳内のエネルギー代謝(ミトコンドリア機能)を助けたり、酸化ストレス(細胞のサビ)を軽減する効果も持っています。これは、ASD患者さんの中にみられる「脳のエネルギー不足」や「酸化ダメージ」を和らげ、より健康的な脳環境を作ることに繋がります。
POINT
- ASDでは脳内の慢性炎症や免疫異常が関与している
- MSCは過剰な炎症を抑え、神経細胞を守る働きがある
- 傷んだ神経ネットワークの修復と新生を後押しする
- 神経栄養因子を供給し、脳の成長・適応力をサポートする
- エネルギー代謝改善・酸化ストレス軽減にも貢献する
幹細胞治療の効果は?報告されている有効性エビデンス
小規模研究で有望な結果が続々と報告されている
自閉症スペクトラム障害(ASD)への幹細胞治療はまだ新しい分野ですが、近年、世界各国で小規模ながらも臨床研究が行われ、その多くで症状の改善が認められています。
特に行動や社会性の向上、言語発達など、患者さんとご家族にとって大きな変化が報告されており、新たな治療選択肢として注目を集めています。
2023年レビュー:10件中9件の臨床研究で症状改善
2023年に日本の研究チームが発表したレビュー論文では、ASDに対する幹細胞療法の臨床研究10件を分析し、そのうち9件で何らかの症状改善が見られたとまとめられました。
改善内容は、社会的相互作用の向上、言語理解や発語の進歩、興奮や多動の軽減など、中核症状・周辺症状の両方にわたってポジティブな変化が報告されています。
さらに、安全性の面でも肯定的な結果が得られました。10件すべての研究において、重篤な副作用は報告されず、短期的な安全性が確認されたのです。
このレビューは、「幹細胞治療はASDにおいて有望な効果を示しつつあり、安全性も高い」という見解で締めくくられています。
他のレビュー論文でも社会性の向上など有意な改善を報告
2022年に発表された別の系統的レビューでも、ASD児に対する幹細胞治療の成果が総括され、標準的な評価指標で有意な改善が認められました。
具体的には、自閉症重症度スコア(CARS)が平均9ポイント低下し、異常行動チェックリスト(ABCスコア)でも改善が見られたとされています。臨床医による総合評価でも、幹細胞治療を受けた子どもたちの方が、対人交流や言語スキルの向上、行動の落ち着きといった面で良好な変化を示しました。
もちろん、これらのレビューは「さらなる大規模試験が必要」とも述べていますが、現時点で得られているデータは幹細胞治療がASDに対して有効である可能性を強く示唆しています。
臍帯由来MSCで劇的改善が見られた症例報告
特に注目されたのは、2024年にトルコで報告された症例です。重度のASDを持つ4歳男児に、臍帯由来ウォートンジェリー幹細胞(WJ-MSC)を6回投与したところ、2年間の追跡で次のような劇的な改善が見られました。
- 対人交流の改善: アイコンタクトや他者への関心が高まり、笑顔でやりとりする場面が増えました。
- 言語発達: 単語の模倣や簡単な要求を言葉で表出できるようになるなど、言語面で大きな進歩が見られました。
- 発達検査スコアの向上: デンバー発達スクリーニング検査で発達年齢が伸び、知的発達の追いつきが示唆されました。
- 自閉症度の軽減: CARSスコアが改善し、自閉症度が中等度から軽度に下がりました。
さらに、副作用も一時的な発熱程度で、重大な健康被害は一切認められなかったとのことです。この症例は、幹細胞治療がASDの症状改善と発達促進に寄与する可能性を世界に示した貴重な報告となっています。
メタ解析でも効果を裏付ける結果が示唆される
2022年に発表された中国のメタ解析研究でも、幹細胞治療を受けたASD児は、受けなかった児と比較して有意に自閉症症状が改善したと結論付けられています。
CARSスコアでは、治療群で平均約6ポイントの改善が認められ、また副作用リスクに関しても、治療群と対照群で差は認められませんでした。
このように、各種レビューやメタ解析を通じて、幹細胞治療はASDに対して効果的であり、安全性も高い可能性が着実に裏付けられつつあります。
POINT
- 小規模研究ながら、多くの臨床試験で症状改善が報告されている
- 2023年のレビューでは10件中9件で有効性を確認
- 社会性向上・言語発達・落ち着きなど幅広い領域で効果が認められた
- トルコ症例では臍帯由来MSCで著明な発達改善と副作用なしを確認
- メタ解析でもASDに対する幹細胞治療の有効性と安全性が支持されつつある
幹細胞治療の安全性と副作用は大丈夫?
判明している範囲では安全性プロファイルは良好
幹細胞治療の安全性については、これまでの臨床研究で概ね良好な結果が報告されています。2023年のレビューによると、ASD患者を対象とした10件の臨床試験すべてで、深刻な副作用は認められなかったとのことです。
また、別のメタ解析でも、幹細胞治療群と通常治療群の間で有害事象の発生率に差がなく、治療によって特別に副作用が増えることはなかったとまとめられています。
さらに、2年以上にわたって複数回のMSC投与を受けた症例においても、長期的な有害事象は報告されていませんでした。定期検査においても異常は見つからず、長期間にわたる安全性が裏付けられています。
つまり、現時点では従来の治療と同等、またはそれ以上に安全性が高いと評価されています。
主な副作用は一時的かつ軽度
幹細胞治療に伴う副作用の多くは、軽度で一時的なものにとどまっています。
代表的な症状としては、
- 一過性の発熱(数日以内に自然に治まる)
- 軽い頭痛や倦怠感(点滴後にみられることがある)
- 軽い吐き気(点滴速度調整や安静で改善)
- 注射部位の違和感(時間とともに消失)
が報告されています。
これらはあくまで一過性で、適切な対処により速やかに回復しており、後遺症を残すようなケースは確認されていません。例えるなら、「予防接種後の腕の痛みやだるさ」のようなもので、しばらくすれば自然に消えていく程度とイメージできます。
まれに点滴中の血圧低下やアレルギー反応(発疹など)が報告されたこともありますが、いずれも医療スタッフによる迅速な対応で問題なく収まっています。
深刻な合併症(腫瘍化・拒絶反応など)は現在まで報告なし
患者さんがもっとも不安に感じるのが、腫瘍化や重篤な免疫拒絶反応ですが、現在までのASDに対する幹細胞治療の研究では、これら深刻な合併症は一例も確認されていません。
間葉系幹細胞(MSC)は元々、腫瘍化しにくい性質を持っており、移植技術や細胞管理も厳重に行われています。また、WJ-MSCのような他家細胞を使用しても免疫拒絶反応は起きにくく、実際に免疫抑制剤なしで安全に使用できたという報告が続いています。
もちろん、幹細胞治療はまだ比較的新しい分野であり、今後も慎重な長期観察が続けられるべきですが、現時点では「安全プロファイルは非常に良好」と世界中の専門家からも評価されています。
POINT
- 現在までの研究で深刻な副作用は報告されていない
- 主な副作用は一時的な発熱や倦怠感など軽度なもの
- 腫瘍化リスクや重度免疫拒絶反応も確認されていない
- 幹細胞治療は安全性の高い再生医療アプローチと評価されている
おわりに:幹細胞治療がもたらす新たな希望
幹細胞治療は、ASDの中核症状に対する新たなアプローチとして期待が高まっています。
臍帯由来間葉系幹細胞(WJ-MSC)を用いた治療は、従来の対症療法では難しかったASDの症状に対し、神経炎症の抑制や神経修復を通じて根本的に働きかける可能性を示しています。
初期の臨床研究では、社会性や言語発達の向上といった前向きな変化が報告されており、安全性についても大きな懸念は見られていません。幹細胞治療は確実にASD治療の未来を切り拓く選択肢となりつつあります。
発達障害と向き合う方々にとって、「改善の可能性がある」という希望そのものが大きな力です。再生医療の進展を信じ、希望を持って歩んでいきましょう。
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