アルツハイマーへの幹細胞治療について

アルツハイマーへの幹細胞治療について

アルツハイマー病治療の現状と課題

アルツハイマー病は、現在も根本的な治療法がなく、多面的な病態に対応できる新たなアプローチが求められています。

現行治療は進行抑制が中心

アルツハイマー型認知症(アルツハイマー病)は、記憶障害や認知機能低下を引き起こす進行性の脳疾患です。認知症の中でも最も患者数が多く、高齢化に伴ってその重要性がますます高まっています。

現在の標準治療では、コリンエステラーゼ阻害薬やNMDA受容体拮抗薬などを用い、神経伝達物質のバランスを調整しながら症状の進行を緩やかにすることが中心です。

しかし、これらの薬剤では病気の進行を止めることも、失われた神経細胞を再生させることもできていません。

最新の抗体医薬も登場しているが限界あり

近年、アルツハイマー病の原因とされるアミロイドβタンパク質やタウタンパク質に対する抗体医薬が開発され、期待が高まっています。たとえば、抗アミロイドβ抗体「レカネマブ」の臨床試験では、18か月後に認知機能低下を約27%抑える成果が報告されました。

しかし、これらの最新治療も、病気の進行を遅らせるにとどまり、完全な治癒には至っていません。また、副作用として脳出血や脳浮腫(ARIA)などのリスクも指摘されており、慎重な使用が求められています。

複雑な病態が治療を難しくしている

アルツハイマー病の脳内では、

  • アミロイドβの沈着
  • タウタンパク質の異常蓄積
  • 慢性的な神経炎症
  • 酸化ストレス
  • シナプス(神経細胞同士の接続)の消失

など、複数の病態が同時進行で絡み合っています。

このように病気の仕組みが複雑なため、単一のターゲットに作用する従来型の薬剤だけでは十分な効果が得られないのが現状です。結果として、認知機能低下を根本から食い止める方法はまだ確立されておらず、患者さんやご家族にとって大きな課題となり続けています。

こうした背景から、病態全体に幅広く働きかけられる新たな治療アプローチが強く求められています。

POINT

  • アルツハイマー病は進行性の認知機能障害を引き起こす代表的な疾患
  • 現行の治療薬は症状の進行抑制にとどまり、根本治療には至っていない
  • 最新の抗体医薬も一定の効果はあるが、治癒には結びついていない
  • 病態が多面的であり、単一ターゲット治療には限界がある
  • 幅広く病態にアプローチできる新しい治療戦略への期待が高まっている

再生医療が拓くアルツハイマー治療の新たな可能性

幹細胞治療は、失われた神経細胞をよみがえらせ、アルツハイマー病に新たな希望をもたらすアプローチとして注目されています。

幹細胞治療がもたらす「神経の再生」

アルツハイマー病は、神経細胞が失われることで進行していきます。この「壊れてしまった脳のネットワーク」を修復する試みが、再生医療の柱となる幹細胞治療です。

幹細胞とは、自ら増える力(自己複製能)と、さまざまな細胞に変化できる力(分化能)を持つ特別な細胞です。患者自身またはドナーから採取した幹細胞を体内に移植し、傷ついた組織の修復や機能回復を目指します。

幹細胞治療の特長は、単一の薬剤ではアプローチできない複雑な病態に多角的に働きかけること。まるで「壊れた都市のインフラを一斉に修復する作業班」のように、神経炎症の鎮静、細胞の保護、組織の再生といった多方面で支援を行います。

この中でも特に注目されているのが、間葉系幹細胞(MSC)と呼ばれるタイプです。骨髄、脂肪、そして赤ちゃんの臍帯(へその緒)などから採取でき、安全性と治療効果のバランスが良いことから世界中で研究が進められています。

なぜ臍帯由来のWJ-MSCに注目が集まるのか?

臍帯中央にあるゼリー状の組織、ウォートンジェリーから得られる間葉系幹細胞(WJ-MSC)は、再生医療における「次世代型の細胞源」として高い注目を集めています。

その理由は大きく分けて4つあります。

  • 細胞が若く、活力にあふれており、新生児由来のため加齢によるダメージが少なく、増殖能力が非常に高い。
  • 免疫に見つかりにくく(低免疫原性)、主要な免疫の目印(MHCクラスII)の発現がほとんどなく、移植後も拒絶反応が起こりにくい。
  • 多能性と免疫調整作用を兼ね備え、骨、軟骨、脂肪、神経細胞様など多彩な細胞に分化でき、さらに炎症を鎮める働きもある。
  • 倫理的な問題がなく、出産時に自然に得られる臍帯を利用するため倫理面での懸念が少ない。

特に、アルツハイマー病のように中枢神経が傷つく病気では、「若い細胞が多面的に支える」というアプローチが非常に重要です。その点で、WJ-MSCは「壊れた脳の町を再建するための若くて有能な作業員たち」とも言えるでしょう。

このような特徴から、WJ-MSCはアルツハイマー病治療においても革新的な可能性を持つ細胞として期待されています。

POINT

  • 幹細胞治療は失われた神経細胞を補い、脳の修復を目指す最先端の医療
  • 間葉系幹細胞(MSC)は安全性・治療効果のバランスが優れている
  • 臍帯由来WJ-MSCは細胞の若さ、増殖能、免疫寛容性において特に優れている
  • 低免疫原性のため拒絶反応が起こりにくく、移植に適している
  • WJ-MSCはアルツハイマー病など神経変性疾患に対する革新的アプローチとなる可能性がある

幹細胞治療はアルツハイマー病にどう作用するのか?

間葉系幹細胞(MSC)は、アルツハイマー病の脳に対して多角的に働きかけ、記憶機能の回復や病態の修復を後押しします。

幹細胞治療は、単なる細胞の補充にとどまりません。

間葉系幹細胞(MSC)は、アルツハイマー病の複雑な病態に対して「炎症の消火剤」「神経の栄養剤」「有害物質の掃除屋」「回路の修復工」のように、多面的な働きを同時に発揮できるのが特長です。

それぞれのメカニズムを、わかりやすくご紹介します。

脳内の炎症を鎮火する

アルツハイマー病では、免疫細胞(ミクログリア)が暴走して脳内に慢性炎症を引き起こします。炎症性サイトカイン(IL-1β、TNF-αなど)が過剰に放出され、神経細胞にダメージを与えてしまうのです。

MSCはこの「暴走した炎症」にブレーキをかけます。たとえば、臍帯由来MSCを投与した動物実験では、抗炎症性サイトカインIL-10が増加し、炎症性サイトカインは有意に低下しました。

これにより、脳内の慢性炎症が和らぎ、神経細胞が守られる環境が整うのです。

神経細胞に栄養を届ける

MSCは「神経の栄養剤」としても活躍します。移植先で、脳由来神経栄養因子(BDNF)、神経成長因子(NGF)、グリア由来神経栄養因子(GDNF)、インスリン様成長因子(IGF-1)など、多彩な栄養因子を分泌。

これらは、傷んだ神経細胞を支え、新たなシナプス(神経ネットワーク)を築く力を後押しします。さらに、MSCが放出するエクソソーム(微小な小胞)には、神経保護作用を持つマイクロRNAやタンパク質も含まれています。

まるで、乾いた大地に滋養豊かな雨を降らせるように、脳内の神経細胞たちに活力を与える役割を果たします。

脳内の老廃物を片付ける

アルツハイマー病の特徴であるアミロイドβプラークやタウタンパク質の異常蓄積。これらの有害な老廃物は、神経細胞の機能を妨げます。

MSCは、炎症を抑えるだけでなく、脳内に溜まったアミロイドβの分解や排出もサポートします。実験では、MSC移植後にアミロイドβ沈着が有意に減少したとの報告もあります。

まさに、「汚れた脳の町を掃除する清掃隊」のような働きで、異常なタンパク質を取り除き、神経細胞が本来の力を取り戻しやすい環境を整えます。

壊れた記憶回路をつなぎ直す

脳内の神経細胞同士がシナプスでつながり合って記憶や認知機能を支えていますが、アルツハイマー病ではこの回路が破壊されます。MSCは、直接神経細胞に変化するだけでなく、脳内の神経幹細胞を刺激して新たな神経細胞の生成を促進したり、既存の回路を修復したりします。

動物実験では、海馬(記憶をつかさどる脳領域)で新しい神経細胞が増え、シナプスの密度が高まったことが確認されています。さらに、酸化ストレスの軽減にも貢献し、脳全体の環境改善につながっています。

つまり、MSCは、壊れてしまった記憶の回路を修復する電気工事士のような役割を果たしているのです。

POINT

  • MSCは脳内の慢性炎症を抑えて神経細胞を守る
  • 栄養因子を分泌し、神経細胞の生存とネットワーク再建を助ける
  • アミロイドβやタウタンパク質の除去を促進する
  • 新たな神経細胞生成やシナプス再構築を後押しする
  • アルツハイマー病の多面的な病態に幅広くアプローチできる

効果の裏付け:研究で明らかになってきた有効性

幹細胞治療の有効性は、動物実験と初期臨床試験の両方から希望に満ちた成果が報告されています。

幹細胞治療の可能性については、世界中で動物実験やヒトを対象とした臨床研究が行われ、少しずつその効果を裏付けるエビデンスが積み重ねられています。
ここでは、代表的な研究成果をわかりやすくご紹介します。

動物モデルで認められる改善効果

アルツハイマー病モデル動物(遺伝子改変マウスやラット)を使った研究では、間葉系幹細胞(MSC)の治療により認知機能の回復や脳病理の改善が繰り返し報告されています。

例えば、ヒト臍帯由来MSCを静脈投与したマウスでは、4週間後に空間学習・記憶能力が有意に改善し、脳内アミロイドβの蓄積も減少しました。さらに、炎症性サイトカインが減少し、抗炎症性サイトカイン(IL-10)が増加するなど、脳内の慢性炎症が鎮まったことが示されています。

また、MSCに磁性ナノ粒子を取り込ませ、体外から磁場で誘導する工夫により、ラットの海馬(記憶を司る領域)へMSCを効率的に送り届ける技術も開発されています。このラットでは、記憶・認知機能テストの成績が向上し、学習に重要な神経機能も改善しました。

これらの動物実験では、

  • 脳内の炎症マーカー低下
  • 酸化ストレスの軽減
  • シナプス密度の増加
  • アミロイドβやタウタンパク質の減少

など、多方面で脳機能の保護・修復が認められています。
まるで、壊れた町を一斉に修復する再生チームのように、MSCはさまざまな角度から脳の環境を立て直しているのです。

患者さんを対象とした臨床試験の初期成果

基礎研究の成功を受けて、アルツハイマー病患者さんを対象とした臨床試験もスタートしています。初期段階の試験では主に安全性を確認する目的ですが、すでに希望が持てる成果も現れています。

例えば、自己由来のストローマ細胞画分(SVF)を脳室内に移植した試験では、10人中8人で認知機能が安定または改善、3人では脳脊髄液中のリン酸化タウやアミロイドβが減少しました。

中には、海馬の容積が著しく回復した症例も報告されています。

また、韓国で行われた臍帯由来MSCの脳室内投与試験でも、安全性の確保とともに、日常生活動作(ADL)の維持傾向が確認されました。(この試験はPhase IIaへ進行中です)

さらに注目されたのは、アメリカで実施されたウォートンジェリー由来MSC(製品名:Lomecel-B™)によるランダム化二重盲検プラセボ対照試験です。

この試験では、MSCを投与された患者群で、

  • 全脳容積の減少を約48%抑制
  • 海馬容積の減少を約62%抑制
  • 拡散強調MRIで炎症の軽減を確認
  • 認知機能スコアやQOL指標でも改善傾向

という結果が得られ、「MSCが脳萎縮を食い止め、症状進行を遅らせる可能性」が裏付けられました。

まさに、弱りかけた橋脚を支え直し、橋全体の崩壊を防ぐ工事のように、幹細胞が脳の機能低下にブレーキをかける役割を果たしているのです。

POINT

  • 動物実験では認知機能回復、脳内病理の改善が繰り返し確認されている
  • 炎症抑制、アミロイドβ除去、シナプス再建など多角的な作用が認められる
  • 初期臨床試験でも認知機能の安定化や脳容積の維持効果が報告されている
  • Lomecel-B™試験では脳萎縮の進行抑制効果が科学的に裏付けられた
  • 幹細胞治療はアルツハイマー病の進行を食い止める可能性を示している

幹細胞治療の安全性は大丈夫? 副作用リスクを検証

現在までの研究で、ウォートンジェリー由来幹細胞治療(WJ-MSC)は高い安全性が確認されており、患者さんにも大きな安心材料となっています。

幹細胞治療というと、最初に気になるのは「安全性」です。特に、他人由来の細胞(他家MSC)を使う場合、拒絶反応や副作用リスクへの不安は避けられません。

しかし、これまで行われた数多くの研究により、WJ-MSCをはじめとする間葉系幹細胞(MSC)治療は総じて安全性が高いことが示されています。

初期臨床試験での安全性確認

韓国で実施されたアルツハイマー病患者さんを対象とした臍帯由来MSCの脳室内投与試験では、投与後に見られた症状は、

  • 一過性の発熱(9例中9例)
  • 軽い頭痛(7例)
  • 吐き気(5例)

といったもので、いずれも36時間以内に自然に消失しました。後遺症を残すような副作用は報告されていません。

一部の患者さんでは、発熱や吐き気のため念のため1日入院を延長したケースもありましたが、適切な管理によりすべて軽快し、深刻な毒性(用量制限毒性)は認められませんでした。

さらに、最長36か月間の長期フォローでも新たな重大副作用は発生しておらず、臍帯由来MSCの脳室内投与は実施可能かつ安全と結論づけられています。

幹細胞治療全体で見た副作用リスク

幹細胞治療全般についても、複数の神経変性疾患を対象としたメタ解析研究(2022年)により、

  • 治療に関連する重篤な有害事象の発生率は全体で約3%

と非常に低いことが報告されています。

総合すると、「幹細胞療法は神経疾患領域において安全性が高く、実現可能な治療手段である」と評価されています。

WJ-MSCならではの安全性の強み

特にウォートンジェリー由来MSCには、さらに強い安心材料があります。

  • 免疫に「見つかりにくい」性質があるため、免疫抑制剤なしでも移植可能
  • 拒絶反応が極めて起きにくい
  • 腫瘍化リスクが非常に低い

胚由来幹細胞(ES細胞・iPS細胞)は、未分化なため腫瘍形成リスクが指摘されていますが、MSCはすでにある程度分化が進んだ「成体幹細胞」であり、これまでの臨床応用で移植後に腫瘍ができた例はありません。

むしろMSCには、

  • 抗がん作用
  • 線維化(組織が硬くなる現象)抑制作用

も報告されており、より安全に使える治療細胞として注目されています。

POINT

  • WJ-MSC治療は現在までの臨床試験で高い安全性が確認されている
  • 副作用は一過性の発熱・頭痛など軽微なものが中心で自然軽快
  • 治療全体で見ても重篤な副作用は発生率3%程度と非常に低い
  • WJ-MSCは免疫拒絶や腫瘍化のリスクが極めて低く、安心できる細胞源

未来への希望:再生医療がもたらす新たな一歩

アルツハイマー型認知症に対する幹細胞治療は、これまでにない革新的な医療アプローチとして注目を集めています。動物実験や初期の臨床研究では、記憶機能の改善や脳病変の抑制といった有望な成果が次々に報告され、かつて夢物語とされていた「脳の再生」が現実のものとなりつつあります。

アルツハイマー病の複雑な病態に対し、多角的に働きかけることができる幹細胞治療は、これまでの治療では到達できなかった領域に踏み込む可能性を示しています。特に、ウォートンジェリー由来MSCは若々しい活力と高い安全性を兼ね備え、再生医療の切り札といえる存在です。

すでに、初期臨床試験でも安全性と症状の安定化といった心強い結果が現れ始めており、幹細胞治療は多くの患者さんやご家族にとって、確かな希望の光となっています。治療の進歩により、アルツハイマー病患者さんの生活の質(QOL)向上や介護負担の軽減にも貢献できる日が、着実に近づいています。

アルツハイマー病に対する幹細胞治療の扉は、いま確かに開かれつつあるのです。

参考文献