PIC/S

概要と背景

PIC/S(ピックス)は「Pharmaceutical Inspection Convention / Co-operation Scheme」の略称で、日本語では医薬品査察協定・医薬品査察共同スキームと呼ばれます。

PIC/Sは国および医薬品査察当局間の2つの国際的取り決め(PIC=協定、PIC Scheme=スキーム)を指し、医薬品のGMP(適正製造基準)の分野における各国規制当局間の協力向上を目的としています。

要するに、医薬品の製造管理・品質管理に関する査察(工場監査)について国際的に基準を調和し、査察結果を相互に認め合うための枠組みです。

PIC/Sの歴史は古く、最初のPIC(医薬品査察協定)は1970年に欧州自由貿易連合(EFTA)の主導で締結されました。これは当時のEFTA加盟10か国間で「医薬品製造所の査察結果の相互承認」を取り決めた協定でした。

その後、より多くの国が参加できる柔軟な仕組みが必要となり、1995年にPIC/S(査察共同スキーム)が創設されました。PIC/Sは法的拘束力のある条約ではなく各国当局間の非公式の合意という形を取っており、運営はスイス法に基づく民間組織として行われています。

2021年時点でPIC/Sの加盟当局は52機関にのぼり、ヨーロッパ諸国のほとんどに加え、カナダ、オーストラリア、シンガポール、韓国、そして日本(厚生労働省/PMDAは2014年加盟)など世界各国の規制当局が参加しています。

求められる主な要件や基準

PIC/Sは一種のクラブ組織であり、加盟するためには各国規制当局が一定の基準を満たす必要があります。

PIC/S加盟審査では、その当局のGMP査察システムが国際水準に達しているかを評価されます。具体的には査察官の資格・訓練制度、査察の手順書、GMP基準(規則)の整備状況、過去の査察実績などが精査され、既存メンバー国の評価により加盟可否が決定されます。

したがって、PIC/S加盟当局は査察能力において厳しい基準をクリアしたエリート組織と言えます。
PIC/Sに加盟した当局間では、以下のような取り決めが実施されます。

査察結果の相互承認

メンバー国の1つの当局が実施したGMP査察結果を、他のメンバー国当局も有効と認める仕組みです。これにより同じ製造所に対し各国当局が重複して査察する必要が減り、製造所側・当局側双方の負担軽減になります。

ただし完全な相互承認(他国査察のみで自国承認OK)かどうかは二国間取り決め次第ですが、PIC/S参加によってその前提が整備されます。

査察手法の調和

各国査察官が共通の査察手順・ベストプラクティスを共有し、均質な査察レベルを維持します。

具体的にはPIC/Sから査察ガイド(例:PIC/S GMPガイドライン。欧州GMPガイドと実質同一)が発行され、査察チェックリストや査察官ハンドブックも共通化されます。

また査察時に重点的に見るポイント(リスクアプローチや品質システム評価など)の情報交換も行われ、どの国の査察官でも大きな差異なく査察できる体制を目指します。

査察官の訓練交流

PIC/Sは加盟当局の査察官向けに訓練プログラムや相互研修、専門家会合(Expert Circle)を定期的に開催しています。

例えば無菌製造査察やコンピュータ化システム査察などテーマ別の研修会を開催し、各国が直面する課題や知見を共有します。これにより査察官のスキルアップと、ネットワーク形成が促進されます。

GMP基準の調和

PIC/Sは各国のGMP基準書(規則)の調和も推進します。加盟国にはPIC/S GMPガイドを自国基準として採用することが推奨されており、実際EUのGMP指令や日本のGMP省令はPIC/Sガイドとほぼ同等です。

こうした書面上の基準統一により、どの国でも同じ基準で製造所が評価されるようになります。

情報交換と協力

加盟当局間で査察関連の情報交換が円滑になされます。例えばある製造所で重大なGMP不備が発見された場合、その情報がPIC/Sネットワークを通じて他国当局にも共有され、必要なら各国で是正措置が講じられます。

また緊急時には合同査察の実施や、非加盟国への技術支援なども行われます。

これらの活動を通じて、PIC/Sは「世界レベルで調和した高水準のGMP査察体制」を構築することを目指しています。加盟当局は定期的に相互評価を受け、レベル維持が図られていますし、新規加盟国の追加も慎重に審査されます。

言い換えれば、PIC/Sは医薬品GMPの国際標準化を実現する実務的プラットフォームと言えます。

認証(加盟)取得の意義やメリット

PIC/S加盟は主に規制当局側のステータスですが、その意義は広く医薬品業界全体に波及します。

まず加盟当局にとって、PIC/S参加は国際的に信頼される査察当局であることの証明です。加盟プロセスを通じ自国の査察制度を見直し改善する契機にもなり、結果として国内のGMP管理水準が向上します。

また加盟後はPIC/Sネットワークから得られる最新情報や研修機会を活用できるため、自国査察官の能力向上と士気向上にもつながります。こうした当局側のメリットはひいては管轄地域内の医薬品品質向上という国民の利益に直結します。

実際、日本も2014年の加盟準備を通じて査察手順書類の英文化や査察能力評価を行い、加盟後はPIC/Sトレーニングに積極参加して国内GMP査察の質的強化を図っています。

製薬企業側にとっても、PIC/Sの枠組みには多くのメリットがあります。

一つは重複査察の削減です。PIC/S加盟当局同士では査察結果情報を共有できるため、例えばEUの当局が査察した工場について日本やカナダの当局は現地査察を省略できる場合があります。

これにより企業は同じ準備を繰り返す負担が減り、査察対応コストを削減できます。特に世界各国に生産拠点を持つ多国籍製薬企業にとっては、PIC/S加盟国への製品供給がスムーズになる利点があります。

さらに、PIC/SによりGMP基準が調和されることで、企業は一貫した品質システムを構築しやすくなります。どの国向け生産でも求められる要件がほぼ共通であれば、グローバルな工場運営に統一ポリシーを適用できます。

これは品質管理の効率化だけでなく、国際的に均質な品質保証の実現(どの国で作っても同じ品質)につながり、企業のブランド価値を高めます。加えて、PIC/S加盟当局は自国企業への指導・教育にも力を入れる傾向があるため、国内企業全体のGMPレベル底上げが期待できます。

結果として国産医薬品の品質が向上し、それが輸出促進や海外市場での信頼獲得にも資するでしょう。

患者や医療現場にとっても、PIC/Sの効果は安全で高品質な医薬品へのアクセスとして表れます。PIC/Sを通じて各国当局が緊密に連携していれば、不良医薬品の流通防止や迅速なリコール対応が可能になりますし、どの国の製品であっても一定の品質が保証されます。

また、新興国など査察リソースが限られる国がPIC/Sの知見を取り入れることで、偽造薬や粗悪薬の流通抑制にも役立ちます。総合的に見て、PIC/S加盟は当局・産業界・消費者の三者にメリットをもたらすWin-Winの国際協力と言えるでしょう。

認証が製品やサービス、消費者に与える影響

PIC/Sそのものは制度枠組みですが、その効果は市場に出回る医薬品の品質保証として消費者に恩恵を与えます。PIC/S加盟当局の監督下にある製造所で作られた医薬品は、厳しい国際基準の査察に適合していることが担保されています。

消費者(患者)はそうした医薬品を使用することで、常に一定以上の品質・安全性が確保された薬を手にしていることになります。例えば、ある国で製造された後発医薬品が別のPIC/S加盟国に輸出され患者に届く場合でも、その品質管理は本国査察と同等に信用できるわけです。

これは「輸入品だから品質に不安」という懸念を和らげ、治療への信頼性を損なわない効果があります。

サービス面では、PIC/Sのおかげで新薬の国際展開が迅速化するという利点もあります。従来、新薬発売には各国当局が製造所査察を終えるまで発売できないケースがありました。

しかしPIC/Sを通じ査察相互承認が進めば、一度の査察で複数国の承認に必要な要件を満たせます。これにより、画期的新薬がある国で発売された後、他国でも速やかに入手可能になる可能性が高まります。

患者にとっては新薬や高品質ジェネリック医薬品をいち早く利用できることにつながり、治療の選択肢拡大という恩恵があります。

また、PIC/Sは製造所の継続的な品質改善を促す仕組みでもあります。国際査察官が頻繁に情報交換するため、ある企業での優れた品質管理手法が共有され、他の企業もそれを学ぶことができます。

逆に不備が見つかった場合は国際的に注意喚起され、同様の問題を持つ施設は自主的に対策を講じるでしょう。そうした業界全体の底上げが進めば、市場に流通する医薬品全般の品質水準が上がり、結果として消費者はより安全な医薬品を手に入れることができます。

医療者にとっても、PIC/Sにより各国の規制情報や警告が共有されることで、自国で流通する製品について海外での問題事例を知ることができ、注意深く患者に投与するなどの対応が取りやすくなります。

これは医薬品の適正使用と患者安全に資する側面です。

総じて、PIC/Sは消費者に直接見える制度ではありませんが、「世界中どこで作られた薬でも安心して使える」という理想の実現に向け、大きく貢献していると言えるでしょう。

関連する国際機関や規制当局

PIC/Sはスイス・ジュネーブに事務局を置く独立組織であり、加盟メンバーは主に各国の医薬品規制当局です。

欧州ではEU加盟国のほぼ全ての当局(フランスANSM、ドイツBfArMなど)とEMA、米国FDAはオブザーバー参加、アジア太平洋では日本PMDA、韓国MFDS、台湾TFDA、シンガポールHSA、マレーシアNPRA、インドネシアBPOM、タイFDA、オーストラリアTGA、カナダHealth Canada等が加盟しています(中国NMPAやインドCDSCOは未加盟)。各加盟当局はPIC/S委員会を構成し、年次総会などで方針決定を行います。

関連する国際機関としては、WHO(世界保健機関)がPIC/Sにオブザーバー参加しており、途上国支援やワクチン査察能力強化の面で協調しています。

また、欧州連合(EU)とは目的を共有しており、EUの医薬品GMP基準や査察制度はPIC/Sガイドラインと完全に調和しています。実際、PIC/S GMPガイドはEU GMPガイドそのものであり、改訂も連動しています。

日本やアメリカの業界団体(JPMA、PhRMA)もPIC/Sに協力的な姿勢を示しており、研修講師派遣や情報交換を行っています。

ほかに、医薬品規制調和国際会議(ICH)や国際医薬品査察員協会(ISPE)なども間接的にPIC/Sの活動に関与しています。

例えばICH Q7ガイドライン(原薬GMP)をPIC/Sがトレーニング教材化したり、ISPE/PDAと協働してデータインテグリティ(試験データの完全性)に関する指針を共有したりといった取り組みがあります。

このようにPIC/Sは単独組織というより、各国当局や関連国際組織と連携しながら、世界のGMP監督システムの調和を進めるハブ的存在となっています。